AManTO
天人元気届隊 ~救助支援から始まる命の相互支援のネットワーク~
●古民家再生エコアート施設群
「Salon de AManTO天人」が母体
2001年当時、築120年の長屋が一人のパフォーマーの空家再生パフォーマンスによってカフェとして再生されました。その後カフェ、サロン・ド・アマント(天人)を中心とする古民家リノベーション施設が展開し、バックグランドの異なったアーティスト30余名の日替わりマスターにより共同運営され、大阪梅田徒歩圏内にも関わらず奇跡的に戦争で焼け残った長屋街である中崎町地区の文化発祥の地として路地裏に劇場、映画館、BAR、本屋、ゲストハウス、ラジオ局など現在も展開し、様々な実験プロジェクトで下町発世界への文化発信の活動を行っていました。
●「支援者への支援」というコンセプトの
作戦名だった「元気届隊プロジェクト」
そんな時、2011年3月11日東日本大震災が起きました。
その規模と原発事故から考えて、翌日からゲストハウスでの被災者の受け入れを開始。
天人の復興支援のプロジェクトを 「Go」「stay」「back」「Go」の3作戦としました。
被災地に出かけてできること…「Go」
その場で踏ん張ってできること…「stay」
退路の確保…という意味です。「back」
様々な情報を収集し、国内外のアーティストと情報を交換しながら次のアクションを考え
あらゆる状況を想定し必然を具体的に実践していきました。
そんな時、第一回目のGoがやってきました。
2001年4月15日、天人OBの一人島崎裕次郎からの依頼で、現地に支援に行きたいと
支援内容の相談があり
レスキューに行っている人から倒れていく阪神淡路の時の思い出を教訓に
現地ボランティアスタッフへの装備品の提供という「支援者への支援」という結論に達し、
第一陣が出発無事ミッションを追え、報告会を通して話し合いが行われ
今回の作戦名は「天人元気届隊プロジェクト」としました。
2011年5月25日、今後の方針を見定めるため再び石巻を訪問。
我々にできる最も価値ある行動とは…
支援継続を続けるうち、小さな団体でも重要な動きができる
誰も行かない所にを支援すべきだ…という結論に達します。
離島である気仙沼の大島に支援先を決定。その活動を始めます。
1)大島から気仙沼の市民病院までの乗り合いバスを運行
救急車の出動回数が激減され表彰。
現在社協に引き継がれ公的システムとして導入が決定されました。
2)西日本からのボランティアバスを月1回週末の弾丸ツアーを企画、
東北での活動に参加しずらい西日本住民に活路を開くました。
「進興復発」というコンセプトを立ち上げ
具体的には、※1 遠距離支援、※2 被災中復興、 ※3 あがなう復興 などがそれを支え、
様々な様々な経験を積み重ねる結果、最大の防災とは共生のためのコクリエーション(共創造)時代の創造であるという結論に至りました。
そののち、那智勝浦土砂災害、フィリピンレイテ島のタイフーン被害に関わらさせていただきました。
私たちの作った「進興」とは、元に戻すではなく進めて戻す、復発とは自然開発でななく自然を戻しながら作る町づくり…を意味します。
そこから、「震災復興から震災進興」「自然開発から自然復発」という言葉も生まれました。
そして365アースデイ(2012〜)の活動や、日韓防災マッピングシンミーティング(2014)など地域でできる防災防犯のコミュティデザインのあり方を提案し続け国内外の支援活動を続けてまいりました。
2015ネパール大震災を機会に「ネパール元気届隊」を結成!
相互支援になる具体的な国際協力のネットワーク作りをスタート
防災復興支援相互協力協力をめざし救援活動を開始、現在は
「Kando ma Kando resque team 」
として6団体のNGOと連携して活動を開始しております。